日本最初のキリシタン神学校

天正9年(1581)にイタリア人宣教師オルガンチノによって建設された日本初のキリシタン神学校跡。現在は公園とされていて、石碑があるだけでである。しかし歴史をふりかえると、非常に興味深い話でいっぱいである。

生徒と教育内容
高槻の高山右近の家臣の子息8人とその他含めて25から30名。よほど優秀な人材が集まったらしく、能力について、ヨーロッパの学校では3年で修得するものを、彼らは3,4ヶ月で修得してしまうと、フロイスの年報に報告されている。教育理念はヒューマニズムの精神。 具体的な教育内容としては、ラテン語の教育と並んで教材には平家物語などがあり、日本の欧化といった方向だけでなく、日本という地域の特性を考慮し、東西両文化の調和融合がはかられていた 。


セミナリヨの最後
天正10年の本能寺の変まで。 本能寺の変が天正(1582)10年6月2日の早暁で、正午には、その凶報は安土に到達。一度は琵琶湖の沖島に退避したが、その後すぐに対岸の坂本より京都の南蛮寺に一時身を寄せて、また高槻の高山右近のもとへ移っている。 変の後には、セミナリヨの豪華な装飾品、立派な家具は勿論のこと部屋の内張りから全て盗まれ、残る物は屋根と柱だけとなった。その後に町の焼失と共に完全消滅したとされている。

参考 「安土セミナリヨ」三俣俊二著.カトリック滋賀連合会